那珂八幡神社(なかはちまんじんじゃ)は福岡市博多区那珂にある神社です。
1948年(昭和23年)に、神社境内で弥生時代の銅戈鋳型が発見され、その後1971年(昭和46年)に九州大学考古学研究室が銅戈鋳型と同時期の遺構・遺物を発見すべく発掘調査したところ、神社がある独立丘陵が帆立貝形古墳であることが判明。さらに、1985年(昭和60年)に福岡市教育委員会が市道那珂・竹下駅前線に伴う発掘調査を行なった結果、後世の改変をかなり受けているが、くびれ部が反るように広がる前方後円墳であることが判明。那珂八幡古墳として有名。
【神社名】
那珂八幡神社(なかはちまんじんじゃ)
【祭神名】
八幡神(誉田別(ホムタワケ)尊=応神天皇)はちまんしん・おうじんてんのう
神功皇后(気長足姫(オキナガタラシヒメ)尊=応神天皇の母)じんぐうこうごう
玉依姫(竈門(カマト)神=神武天皇の母)たまよりひめのみこと
【鎮座地】
福岡市博多区那珂一丁目44-7
【社格】
不明
【問い合わせ先】
【主な祭事】
4月15日 春の大祭
10月15日 秋の大祭
【ホームページ】
那珂八幡宮縁起より
八幡神は、欽明天皇32年(西暦571年)宇佐の御許山に出現し、そのあと菱形山の現在地に祀った宇佐神宮が根本である。
八幡信仰は、天平時代(8世紀半ば)から王城鎮護の神の信仰としてはじまり、鎌倉幕府の開府以後(12世紀末)からは武神として崇められ、武士団の全国浸透につれて八幡神が各地に勧請され、土地の産神として祀られるようになった。
神社の西麓には元宮と称するところがあるが、那珂八幡宮の祭祀のはじめはわからない。
いま、この祭地は、昭和60年3月から7月にかけての調査で、全長75米、後円部直径約47米の、4世紀前半に築かれた九州では最古式の前方後円墳の墳頂にあることが確認された。
福岡平野では最大級といわれる古墳の主体部は、社殿の下にあるため構造は不明であるが、主体部の北側より出土した木棺墓からは青銅製の三角縁神獣鏡1面、硬玉製勾玉1個、碧玉製管玉2個、ガラス製小玉1個が出土した。
その他の出土物には銅戈鋳型片(弥生中期)、弥生時代の土器や鎌倉時代の土師皿、石鍋などがある。
